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『眠り姫におはようのキスを』

それには、特別な意味を持つものもあるというのは知っていた。

けれど、僕たちにしてみれば、子供の頃からの当たり前の習慣で、そういった意味での「特別」を含むものではなかった。

あの日、この想いの欠片を君に届けたいと思った時、少しは意味が変わったのだろうか?

 

 

そのおまじないの始まりは、僕らがまだほんの小さな頃。夜中に、一緒に眠っていたはずのスレイの方から苦しそうな息が聞こえて目が覚めた、そんな日の話。

「スレイ…どうしたの…?」

「さむくて、あつい…」

はふ、と言葉と共に溢された息は熱く、ただ事ではないと思った僕は、慌ててメディアを呼びに行く。
彼女が一通り様子を確認してくれる中、拳を握って立ち尽くしていると「少し熱が出ているだけだから大丈夫よ」とメディアが声をかけてくれた。

「すぐにさがる…?」

人と天族との大きな違い…その一つが、こういった体調面での差だ。僕たちは、穢れの影響や外傷以外に体の調子を崩すことは殆どなく、このイズチではスレイだけがこんな風に体調を崩してしまう。だからなのか、家族たちは特にスレイに対しては心配性で、何となく家の周りに何人かが集まってきている気配がする。

「確か、解熱用の薬はあったはずだから、明日にはきっと下がるわ。取ってくるから、ミクリオはスレイを見ててあげて。」

安心させるように笑ってくれたメディアに促され、隣に座りこんだ僕は、浅く荒い呼吸を繰り返す彼を勇気づけるために、今メディアが薬を取りにいってくれたからね…と伝える。

「…うぇぇ…みく…」

「もうちょっとのがまんだから…」

翡翠の瞳から涙が零れる。伸ばされた手を握りしめ、何とか宥めようと言ってみるものの、次々と流れ落ちていく雫がスレイの辛さを表しているようで、釣られて僕まで視界が潤んできた。

「なかないで、スレイ…」

言葉と共に、ぽろ…と頬に濡れた感覚。

スレイが辛そうなのが苦しくて、胸が痛くて、二人して泣いてしまっていると、戻ってきたメディアがどうしたの!?と慌てたように駆け寄ってきた。

「だって…スレイ、くるしそう…」

このままもっと酷くなるんじゃないか、不安になって泣きながら答えていると、扉の方から「大丈夫じゃよ、ミクリオ」とジイジの声が聞こえてきて、涙を拭う。

「そんなに心配せんでも、この薬を飲めば熱は下がる。」

力強い断言に、ジイジが言うなら…と思って少しだけ落ち着く。そのままスレイが薬を飲むまで居てくれたジイジは、これでもう大丈夫じゃ、と僕とスレイの頭を撫でてくれる。

「二人とも、きちんと眠るのじゃぞ。…メディア、すまんが後を頼む。」

「はい。」

他の皆も落ち着かせねばならんからなぁ…とゆったりと去っていく背中を見詰めてから、もう一度スレイの方を向く。さっきより大分ましになった息遣いに僅かに安堵していると「おやすみ、スレイ。早く良くなりますように」の一言と、額に優しく落とされるキス。

「メディア、いまのはなに?」

「悪い夢を追い払うおまじないよ。」

一瞬、スレイの表情が和らいだように見えたが、何か術を使ったわけでもなさそうだし…と尋ねると、柔らかな笑顔で返される。

「おまじない…」

それをすれば、僕もスレイの苦しみを取ってあげられるんだ、そう思ったのが始まりだった。

 

 

「……うぅ…」

あれから時は流れ、思わぬ成り行きでスレイは伝承を追い続けた導師になり、僕も陪神として、世界中を巡る旅に出た。
その道中、マーリンドで何度目かの熱を出してしまったスレイを介抱していると「みくりお…」とか細い声で名前を呼ばれた。

「何か欲しいのかい?」

「……おまじない、だめ…?」

欲しいものでもあるのかと問うと、その口からは意外な言葉が出てきて目を見張る。

「…わかったよ。」

久しぶりにスレイに頼まれた、おまじない。あの一件の後、時々僕もメディアの真似をしてスレイにおまじないをするようになった。成長するにつれ、昔ほど大きく体調を崩したりする回数は減ったが、夢見が悪かったりしたときには続けている。

…この頃のスレイは、アリーシャのことを考えてずっと表には出していなかったけど、従士契約の反動で右目が見えていなかったから、余計に心細かったんだと思う。

「スレイが元気になりますように。」

そう呟いてから額に軽く触れる。

「…へへ…ありがと…」

淡く微笑むスレイに、どういたしましてと答えていると、「距離、近すぎ」と後ろからエドナが傘を突き付けてくる。

「危ないだろ!というか、僕たちにはこれが普通なんだが…」

今までずっとしてきたことに、そう言われても困ると言い返すと、何か言いたげにライラに目を向けるエドナ。一体何なんだ!

「まあまあ、エドナさん。これがスレイさんとミクリオさんの距離感なんですよ。」

「ふぅん…ま、いいわ。そのうち面白くなりそうだし。」

じっと見られた後、鼻で笑っていた彼女には、その後僕が抱える感情が見えていたのかもしれない。

…そう、確かにこの時はまだ親友として、や、家族としての「好き」だった。
その気持ちが、かたちの違う想いへと変わっていったのは、いつだったのか。
或いは、ただ底にあったものが浮かび上がってきただけなのか。

気付いてからは、たまにするおまじないに少し別の想いも乗せられるようになった。

けれど。

(…今じゃない)

その想いを、言葉にして告げる気はまだ無かった。
諦めるとか、自分に嘘を吐こうとしているわけじゃない。今優先するべきは、この感情の行く先ではなくて、災禍の顕主を祓う導師と、それを支える陪神としてスレイを支えることだと思ったからだ。


(だって僕は、君の夢を叶えたいから。)


…それに、その後の僕らの旅路には、色々なことが起きすぎて、そんな心を挟める余裕なんて無かった。導師の試練、二度に渡る戦争、大切な人々との別れ…本当にたくさんの出来事が起き、どれもこれも、語り尽くせないほどに様々な経験だったが、何より大きかったのが、旅の終わりが見えたとき、スレイが下した決断。

穢れているマオテラスを浄化するため、感覚を全て遮断して眠る。
その間で天族と共に歩む道を選んだ人たちの力を借りて、大地そのものの自浄作用を取り戻す。

どれほどの年月がかかるかわからないそれに賭けた君は、人々の未来を信じると言った。
だけどやっぱり引き下がれない想いもあって、夢はどうするんだと尋ねてみても、返ってきたのは揺らがぬ意思。

(君は、昔から言い出したら聞かないからね…)

これ以上は言うまいと、止めたい気持ちをグッと堪え、送り出す決意をひとつ渡して、決戦の地へと向かい、そして迎えた最後の休息。

「スレイ、ちょっとここに座ってくれないか。」

「うん…?…わ!」

手招きをして、やって来たスレイが素直に座ってくれたところで、額にキスを落とす。

「寝る前には、おまじないをしておかなきゃね。」


君の負担が少しでも軽くなりますように。

どれほど長い時が過ぎても、君がちゃんと帰ってこれますように。

(大好きだよ、スレイ)

愛しい君へ、たくさんの祈りを込めて。


「そっか…」

照れ臭そうに笑うその顔は、今まで見たどの笑顔よりも輝いて見えた。

 

 

 

(…久し振りに、あの時のことを思い出したな)

導師スレイとの旅から、数百年。
探索していた遺跡の帰り道で、僕は遠い記憶を引き寄せる。今まで思い出していたのは最後の日ではなく、大変だけど楽しかった旅や、イズチで遊び回っていた昔のことばかりだったけれど、今日はそうではない。懐かしくて少し切ない、そんな日を思い出した理由は、背中にある温もり。

新しく見つけた遺跡を調べている途中、遺跡の仕掛けか、突如開いた穴に体を投げ出されそうになった僕の腕を掴んだ、一人の影。

「…へへっ、セーフ!」

鼓膜を揺らす、明るいその声の主は、ずっと待ち続けていた片割れのもので。

「頼むよ、スレイ…。早く、上げてくれ…」

「ああ!」

交わされる会話に、夢ではなく彼が本物のスレイなのだと解る。
引き上げてもらったあと、しばらく遺跡を探検していたけど、やっぱりまだ本調子ではないのか、疲れの色が濃く見えるようになった。だから僕は、今度また来ればいいと探索を打ち切り、スレイを負ぶって帰ることにしたのだ。
余程限界だったのか、そのまますやすやと眠ってしまったが、重さも温かさも、全てが伝わってきて、彼が本当に帰ってきたのだと、堪らなくなってくる。

「おかえり…スレイ…」


まずは、おはようのキスを。


使命に縛られないこの先が、幸せなものになりますように。

自由に羽ばたける時間が、長く続きますように。

(いつか、おまじないに隠した僕の気持ちも、君に…)


新たな始まりを迎え、今、二度目の夜が明け始める。

​<終>

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